物語

人生舐めてるくらいがちょうどいい

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皆さん初めまして!

竹内大成と申します。

 

ネット上では「たいせー」という名前で活動をしております。

 

気軽にたいせーと呼んでくださいね!

今回あなたがこうして読んでくださっている、

この記事は、僕の一番のプロフィール記事になります。

 

このプロフィール記事では主に、

僕の過去、現在、目指していく展望、

そして僕の大事にしている理念についてを書いていきます。

 

僕の現在を知らない方のために軽くお話をしますと、

 

・センター試験を3日前にして受験を棄権。からの起業

・迷走しながらも高校を卒業して4ヶ月で月の収入は100万円を突破

・様々なメディア(ブログ、YouTube、メルマガ、Twitterなど)を運営

・マーケティング事業の会社の代表取締役社長

・個人のコンサルティングを始め、法人のコンサル業を行う

・セミナー講師をしたり、サロンの運営リーダーをしたり

・新しい刺激を求めバンジー飛んだりヒッチハイクしたり、いろんなアクティビティに挑戦

・難病指定の解説サイトを事業として企画中

 

などなど様々なことを未成年ながらやらせていただいております。

 

(これを読んでいる最中にもたいせーは様々なことに挑戦し成長しています!)

 

と、ここまでを聞くとかなり順風満帆に思われるかもしれません。

 

確かに今は最初に掲げていた目標もほぼ突破し、

好きなことも好きな時にできている状態で、

迷いなくでっかい目標に突っ込んでいる状態なので、

かなり楽しい毎日を送らせていただいております。

 

でっかい目標とは、アーティストになることです。

アーティストとは自分の表現で世界をクリエイトする人のことです。

ZOZOの前澤さんや、SHOWROOMの前田さんに堀江貴文さん、

落合陽一さんなどの方々をイメージされるとわかりやすいかと思います。

 

彼らは確実に自分の表現で世界を変革しようとしています。

 

僕は現段階ではまだ何で世界を変えていきたいか。

という具体性はないですが、それを見つけるため、もしくは作るために、

今はひたすら新しい体験をして、自分の感覚を研ぎ澄ましています。

 

このブログでは、僕がそんな世界を代表するアーティストになっていく様を、

実況中継のように記録していきます。

 

その中で僕が体験したことや、学んだことなどの経験や知識などを、

皆さんに共有していきます。

 

人生を挑戦し続け大成していく上での失敗の捉え方や、マインド、

無駄な時間を過ごさないための行動学や挑戦していくための人生観などが、

皆さんは学べるかと思います。

 

メルマガでは僕の最新情報が届いたり、

僕が主催する懇親会などのイベントを募集したりするので、

気になる方は無料なのでぜひ登録してみてくださいね!(^ ^)

 

はい、さてさて。

これまでかっこよく「世界を変えていきたい」的な、

暑苦しくて温度差を感じることを抜かしてきたわけですが、

ここからは僕の愉快な過去について話していきます。

 

というのもこれから僕のブログを読んでいただく方には、

僕の「これまでの経緯」や、「どんな想いでここまできたか」

を最大限知っていただく必要がああるからです。

 

それはなぜかというと、

僕の起業するまでに至った経緯や思いを知っていただくことによって、

僕がこれから挑戦していく物に対してより僕と同じ感覚で、

当事者意識を持ち、極力僕と近い想いで参加していただきたいからです。

 

他にも、

僕は一般的な家庭よりも荒んだ過去を持っていると、

僕を知る人はよく言っていただけるのですが、

そのことからも、どんなに逆境にいたとしても、

今の時代ネットの力によっていくらでも、いつでも巻き返しができるんだぜ。

ということを知っていただきたいと思ったからというのもあります。

 

これからはマジで誰でも金銭的には困らなくなるし、

ある程度の名声も10年前に比べ容易に得ることができるようになります。

てかもうなってるんですけどね。

 

そんなこともこのブログを読んでいただけばわかるかと思います。

 

というわけで僕の生まれた時から現在までをざっと語っていきたいと思います。

〜〜はじまりはじまり〜〜

〜〜〜たいせーの生い立ち〜〜〜

これから僕の生い立ちを書いていくわけですが、

少々過激なため、ブログで全てお話しできるわけではないです。

 

この物語が全てではないので、悪しからず。

 

では早速、生まれた時から観ていきましょう!

〜生まれてから小学生〜家族崩壊と形成される承認欲求

1999年4月、千葉県の大学病院で僕は産声をあげました。

3600g程のまん丸赤ちゃんだったようです。

 

2歳3歳の時はよく人形をおんぶしたり、

ままごとで遊んでいたりしたそうです。笑

当時から中学生の途中まで僕はかなり泣き虫でした。

 

僕が生まれた時の家族構成は、

母、父、13歳離れた姉、9歳離れた姉、僕、1つ下の弟の6人家族でした。

家は市営住宅のかなり古くて狭い2dkほど。

一年中虫が出るような家出した。ネズミだったり、蜘蛛だったり、Gだったり…

 

6人家族とはいえ、両親は、

昼も夜もほとんど家にはいなかった記憶があります。

 

いつも家には2人の姉がいて、

思春期真っ盛り、遊び呆けたいはずなのに、

嫌な顔1つせず僕と弟の面倒は2人の姉がみてくれていました。

僕がその姉と同じ年になってなおさら大変さが伝わりました。

友達との約束、学校行事、優先順位は僕らが一番でした。

 

一方僕はというと、だんだん疲れしらずの比較的活発な少年となっていました。

しかしそれも、小学校に上がったと思えば随分おとなしい性格になります。

それには、あの忘れもしない事件が原因でした。

 

姉の長い長い家出

僕は今後2つの大きな転落を経験することになります。

それらは僕の人格を大きく左右させたといっても過言ではないほど重大な出来事でした。

小学生になってすぐに、そのうちの1つを経験することになります。

 

”親は家にほとんどいなかった”と言いましたが、

実は父と暮らしていた記憶が僕にはほとんどありません。

父は不倫がきっかけで僕が幼い時に家を出ていってしまったようです。

家でみんなでお寿司を食べたことがうっすら記憶としてありますが、本当にかすかです。

 

その時すでに離婚していたのですが、

「パパは東京で住み込みの仕事をしてるから帰ってこれないんだよ」

と聞かされていたので、何も疑わず、

「パパも頑張ってるんだなー。忙しいんだなぁ。」と思っていました。

 

今思えば月一の頻度でしたが、その遊んでくれる日を結構楽しみにしていました。

あまり会わないので、敬語になってしまっていたり、

緊張はずっとしていた覚えがあります。

 

焼肉が多かったですね笑。毎回焼肉です。

美味しいもの食べにいったり、仮面ライダーのショーに行って怖くて泣いたり、

服や靴、ゲームを買ってもらったりと割と楽しかったです。

 

僕が中一の時に僕と弟と父で焼肉屋のくいどんに行ったのですが、

3人で15人前の肉を食べて死にそうになったのはいい思い出です。

 

まあそんなこともありましたが、

当時から父も家に戻って友達の家族のように円満に暮らしたいと、

思っていたような気がします。

 

そこで僕が最初に経験した転落は、

姉と母の喧嘩がきっかけでした。

 

それまでにも子育ては姉に任せっきりだったので、母とのいざこざは多々ありました。

そのいざこざというのもなかなかに過激で、物が飛んだり、

怒号が飛ぶということが頻繁にありました。

僕と弟からするといくら女性とはいえ、リアルでホラー映画を見ている恐怖でした。

 

そしてついに事件が起きました。

きっかけを説明するのはかなり複雑なのですが、

また母と長女が、壮絶な喧嘩をおっぱじめてしまったのです。

しかしその時は、それがどんどんヒートアップして

取っ組み合いの喧嘩に発展してしまいました。

 

長女は泣き叫びながら声で僕らに助けを求めていましたが、

その時僕と弟はダイニングの端っこで、

それを大泣きして見てるしかありませんでした。

そのシーンはたまにフラッシュバックしてくるほど鮮明に覚えています。

 

そこにあった感情は「悲しい」ではなく「恐怖」のみでした。

 

「もうやめて!!お姉ちゃんが死んじゃう!!!まま!!もうやめて!」

 

と心の中で訴えるものの、届くはずがありません。

体の小さかった僕は怯えて弟と一緒に眺めることしかできませんでした。

 

その勢いで姉2人は身分証も持たずに家を出ていってしまいました。

 

それからというもの僕の性格はだんだんひねくれ者になりました。

おそらく寂しかったからです。

 

これは姉が出て行く前からそうでしたが、

夜遅くまでほとんど保育園でした。泊まったこともありました。

 

小学校に上がるとベビーシッターと子供ルームのお世話にもなりました。

 

「もっと僕を見てもらいたい。もっと僕に構って欲しい」

そういった気持ちが強くなり、追い討ちをかけるように、

姉が出ていってしまったことによって、

僕は幼くして立派な承認欲求を形成させていました。

 

あとは泣き虫にもなりました。

当時はよく寂しさを涙で主張していましたが、

次第に、嬉しさ以外の感情を涙でしか表現できなくなってしまいました。

まるで赤ん坊です。それは中学に上がるまで続きました。

 

自分を少しでも悲観しようものならすぐ泣いていましたね。

中学高校に上がってもそれは変わらず、

その気持ちはむしろ強くなりました。

 

小学生になり、学年が上がっていくに連れて、

今度はコンプレックスがたくさんでき、

劣等感から、さらに承認欲求を大きくさせました。

 

〜小学生〜 コンプレックスによって大きくなる承認欲求

 

僕は成長するにつれだんだん歯並びが悪くなってきて、

受け口のしゃくれた顔がコンプレックスでした。

そこで5年生の終わり、

「発達障害が出るかもしれないから」ということで、

歯科矯正をすることになりました。

 

やっと克服できると嬉しがっていたのもつかの間、

この矯正器具がまた僕を苦しめるのです。

 

取り外しができるものだったのですが、

入れ歯とバカにされたりすることが多々ありました。

まともに喋れないし国語の時間には音読を強要されたことで、

人生でトップスリーに入る恥ずかしさを経験しました。

 

チビで華奢な体もコンプレックスでした。

小学校6年生で150cm36kgぐらいだったと思います。

女子に「蹴ったらすぐ折れちゃいそうだね」と言われ、

悔しい思いをしたのを覚えています。笑

 

細い目もコンプレックスでした。

目が相当悪くなり、目を細めることをよくしていたからでしょうかね。

小学校6年生の時に小2から拒んできたメガネをついにかけ始めますが、

さらに目つきが悪くなったことでまともに人と顔を合わせて話せませんでした。

 

矯正器具を見られたくない。というのもあいまって、

なかなか笑うことができませんでした。

 

異常に汗っかきだったこともコンプレックスでしたね。

冬にもかかわらず僕はいつも首からタオルを下げていました。

そのタオルはよくクラスの人に”たいせーの汗タオル”と名付けられ、

僕を避けて遊ばれていたこともありました。

 

本当に黒歴史とはこのことかと思うほど、コンプレックスの塊でした。。

これらが僕の承認欲求をさらに加速させ、劣等感を強め

ぼくの自信をどんどん奪っていきました。

 

そんな僕でしたが、

新しい環境となる中学校にはどこか夢を持つように、

淡い期待を寄せていました。

〜中学生〜 自己否定の塊となり、あることを悟る

小学校までに散々承認欲求をつくりあげた僕は、

中学校ではさらに承認欲求が強くなり、

自己否定の塊のような人間になりました。

 

それにはいまわしい、

僕の人格形成を左右させた2度目の転落が原因にありました。

 

今でも強く忘れたいと思っている辛い出来事ですが、

強い糧になっていると思っています。

 

地獄の4ヶ月

あれは忘れもしない僕が中学2年生の二学期のことでした。

 

2013年11月16日の1:00頃。

いつまで経っても帰らない母をよそに僕は家にあったものを適当に食べ、

母の帰りはまたずにとっとと寝てしまっていました。

 

深夜の1:00頃、僕がスヤスヤ寝ていた時、

泣きじゃくった母に起こされました。

うろ覚えですが何か謝っているなーという感じでした。

 

僕も寝ぼけていたので詳しくは覚えていないのですが、

「ごめんね」の一言が聞こえたことは覚えていました。

母はとある理由によって、家に帰ってこれなくなってしまいました。

 

よって僕と弟は、児童相談所へ引き取られることとなりました。

 

それからは地獄の4ヶ月でした。

半分以上を児童相談所で過ごしたので学校には通えませんでしたし、

残りは厳しい父の自宅と、一週間ほど次女の家で過ごしました。

 

そこでも数々の苦難を経験します。

詳しくはメルマガ限定で話しているので、

きになる方はぜひ読んでいただきたく思います。

 

なんども言いますが、その地獄の期間は本当に苦しかったです。

こんな目に合わせた母を僕は恨み、憎んでいました。

 

児童相談所生活中僕はあることを悟りました。

「もう2度とあの6人で食卓を囲む時は来ないんだな」

 

記憶にあまりないとはいえ、僕はそれが一番の夢でもあったと思います。

「なんだそんなことか」と言われそうですが、

僕にとっては本当にそれが辛すぎる事実でした。

 

信じたくない」「そうであって欲しくない

強く、そして何度も願いました。

 

しかしその事実を受け入れ、

納得してしまった自分がそこにはいました。

不思議と、意外と落ち着いていて静かで淡々とした気持ちでした。

 

でも僕は真剣に、マジで、

「今はみんな忙しいだけだ。

いつの日かみんな戻ってきて、家族6人でご飯食べられる日が来る!」

と思っていたわけです。

 

辛すぎる。残酷すぎるよ。。

 

なんども言いますが、当時の僕にとっては残酷な事実でした。

なんとも形容し難い気持ちになったのを今でも覚えています。

 

その事件からというもの僕は自己否定の渦にはまってしまいます。

自己否定はコンプレックスのおかげで、小学生の時から得意にしていましたが、

それからさらに強くさせました。

 

友達の家庭を何度羨んだかわかりません。

隣の芝は青く見えるとよく言いますが、

どんだけ青く見えたかわかりません。

そしてなんて自分の芝は汚いんだと思っていました。

 

そんな風に自分は可哀想な子なんだとばかり思っていました。

 

俺はなんて恵まれない家庭に生まれてしまったんだ。」

なんでこんな目に俺ばかり会うんだ

 

中学にあがってあの事件を筆頭に、

さらにこの想いはさらに強くなりました。

 

友人に当時のことを聞くとぼくはずっと暗い顔をしていたようです。

悲しさと己の惨めさによる表情だったんだと今はわかります。

 

人がいない教室で思い切り泣いたりもしていました。

中学に上がって泣き虫は克服したつもりでしたが、

その時は無理でした。

 

なんで何も悪いことをしていない俺がこんな目にあって、

 あんなふざけた奴らにはなんもないんだよ!!

そういって現実を真っ向から否定し、ひたすら泣いていました。

 

だってそうじゃないですか。

クラスのやんちゃしてる奴らはなんで自由にしているんだと。

僕の学校は治安が悪かったので、

先生をボコボコにして少年院に行ったやつだったり、

近所の学校と喧嘩をよくするようなやつがいたので、マジで動物公園でした。

 

今ではかなり笑い話ですが。笑

 

当時は散々先天的な理由で苦労してきました。

母を筆頭にかなり災難にあっていましたが、

その後はかなり母も頑張ってくれていました。

 

週6で超肉体労働の米の卸業者で働き、

年末年始関係なく働きづめ。基本給12万でよく頑張ってくれていました。

中学の時はかなり憎んでいたわけですが、

だんだん母を楽にさせてあげたいと思うようになってきました。

 

姉の苦労も大きくなってやっとわかったので、

いつしか僕の大きな1つの夢に、

母と姉を楽にさせてあげたいというものができました。

 

はい、話が逸れましたが、

実はあの事件だけで終わる中学ではありませんでした。

 

〜中学3年生〜 克服どころかさらに強くなる自己否定の嵐

 

3年に上がってすぐのことでした。

いきなりクラスの男子の、

グループLINEを僕だけ退会させられました。

 

僕は”喧嘩”だと思っていましたが、

周りのクラスメイトから見るとそれは”いじめ”だったようです。

 

遠回しに僕のことを呼ぶやんちゃな男子たちが暴れていました。

「おーい〇〇出てこいよー」

「みんな待ってるぞー」

僕のことだとわかると、

「なに??」と返信をしました。

 

そこから3時間ほど、

僕vsクラスのやんちゃな男子

でバトルをします。

 

内心「どうしようどうしよう」とかなり焦っていた覚えがあります。

 

その一件は、僕のことを心配してくれたようで

クラスの女子が先生に報告していたようです。

まぁおかげさまで学校に余計行きづらくなったんですけどね。

 

学校では、大声で遠回しに呼ばれたり、

仲の良かった友達も口を聞いてくれなくなりました。

よく仮病を使って保健室で過ごしていた時期だと思います。

 

こういう時の保健室の安心感は半端じゃありませんよね。

わかる人にはわかると思います。笑

「もう何もしたくない。ずっとここにいたい。」

 

保健室の先生にはだいぶお世話になりました。

ありがとうございます。

 

「いつかあいつらをkoroしてやる」そう心で何度思ったかわかりません。

頭の中でなんどもkoroすシチュエーションを再現していたのはいうまでもなく。

怖いこと言って申し訳ないです。笑

 

それからというものさらに承認欲求が強くなった僕はネット人間になりました。

いろんなアプリなどを使って知らない人とチャットしては、

大嘘をつき、なんの得もない見栄を張って、

褒められる快感にハマっていました。笑

 

なぜそんなことをするのかと切られたら、

リアル(現実)では輝けないからです。

 

わかる人にはわかると思うのですが具体的にいうと、

よくいるYouTubeのコメ欄でイキってるやつとか、

掲示板でありもしない武勇伝を言って鼻を高くしてたり、

おえかきライブや斎藤さんで、自慢していたりしました。(自慢することないけど)

まぁ他にもありましたけどね。

 

でもよくリアル(現実)でも見栄は小学校の時から張っていました。

全ては構って欲しいからでした。

僕に注目して欲しいからです。

そのために大げさな嘘をつき見栄を張ります。

 

ずっと”特別な人間”になりたかったんです。

人とは違った何かを求めていたのかもしれません。

家族がそばにいなかった寂しさからかわかりません。

 

とにかく、ちやほやされる、

”特別な人間”になりたかった。

 

しかし本当は、

それが自分の首を絞めていることだとうっすらわかっていました。

見栄を張り、嘘をつけば、

現実であればいつかはバレてしまいます。

 

でも後には引けなかったし、怖かったんです。

 

「素直に話したらみんな離れて行っちゃう。」

「弱い自分を知られたら構ってくれなくなっちゃう」

 

それでいてもなお、

淡い期待を高校生活に抱いていました。

てか今思えば、期待するしかなかったんですよね。

何もなかったんで。笑

 

しかしその思いが実ったのか、

高校生ではついに自分の力で稼ぐ方法に出会い、

ビジネス関係で人と関わりを持ったことで、

人生が一気に好転換し始めました。

〜高校生〜 ターニンポイント

 

高校に上がった僕は、強烈に大学を意識し始めました。

 

というのも、

家族を守ってあげたいと中二の事件以来、強く思い始めていたからです。

 

先も書いた通り、

僕の大きな夢の1つに母と姉を楽にさせてあげたいというのがありました。

さらに2度の事件によって長女の方は鬱がひどく進行していました。

 

「僕が守ってやりたい」

「今までお金がなかったからあんな目にあったし、

 お姉もお母さんも大変な目にあった」

中学を卒業し、大学受験を意識するようになって、

現状と比較した結果。強烈に「勉強しなきゃまずい」と思うようになりました。

 

「お金があればみんな助けられる!!」と思ったぼくは、

「お金を稼ぐなら医者だ!!」というなんとも単純というか、

不純な動機で筑波大学の医学部を目指すようになりました。

 

筑波大学医学部とかっこよく言ったものの、

僕の通っていた高校は偏差値50も満たない学校でした。

当たり前ですが、現状のままではいけないと焦り勉強に取りかかかるのですが、

イマイチ身が入らなかったんですね。

 

おそらく部活が楽しかったからです。笑

中学も陸上部に入っていましたが、

きつすぎて陸上は高校まで続けるつもりはなかったのですが、

先生に誘われ渋々入部してしまいました。

 

しかし運よく先生と先輩に恵まれ終始楽しい部活でした。

僕の高校三年間を支えてくれたのは紛れもなく部活だったと言えます。

 

当時は勉強より部活になってしまっていましたね。

 

ですが、

勉強が嫌だった僕は勉強法のリサーチだけはめちゃめちゃやっていました。

気づけばノウハウコレクターになっていましたが。笑

 

親に頭を下げ、全くお金がないにも関わらず、

今思えば情報商材と言えるものを買ってくれたり、

塾に入れてくれたりしました。

(僕もバイトをしたりしました)

 

そのおかげもあって散々ノウハウをコレクトしたぼくは調子に乗ります。

結果も出ていないのに調子に乗りました。

 

点数を取れない自分をさらけ出すことが怖くて、

友達にはお得意の見栄を張っていました。

 

計画だけは頻繁に立てていましたが、全く勉強しないので成績が伸びるはずもなく、

そんなことをしてストレスがかかった日々をただただくり返していました。

 

ビジネスとの出会い

そうこうして僕はなんと高校2年生になってすぐに奇跡的に彼女ができました(拍手)

初めて心の底から好きになった女性で舞い上がっていましたが、

たった1ヶ月で、無念に。。。(察してください)

 

それはそれでまた、

自己否定の塊となり半年近く病んでいましたね。笑

 

僕はショックが強すぎたので、

「そうだ、これは天啓(神からのお告げ)だったんだ!

これは神からの勉強しろというお告げだったんだ!!」

と無理やり解消して勉強に励むようになります。

 

そして彼女と別れたその月に、

僕は人生を大きく変えた運命的な出会いを果たします。

 

いつものように家のこたつ(五月でしたが)に入って、

数学の講義をYouTubeで見ていたら大学生で月収100万という方を見つけたのです。

 

「え!!??まぁでもあれだ。嘘やん。。詐欺じゃん。詐欺だよどうせ。」

しかし、どうしても僕は忘れることができなくて、

どんどんその方に惹かれていきました。

 

そして受験勉強とビジネスの集中する割合が気づいたら逆転していました。

 

その頃には

「ビジネスに有利になるから人脈作るためにも東大行こう!」

と思い次は東大の医学部を目指しました。

 

しかしその軽い気持ちが仇となって、

数々の後悔を残しました。

 

ビジネスの勉強、受験勉強、部活が全ておろそかになってしまって、

どれも本気にできず中途半端になってしまっていたのです。

最後の総体が終わって仲間が号泣していた中でも僕は、

「やっと受験勉強に集中できる」と思ってしまったクソ野郎でした。

 

そしてやはりビジネス一本は怖かったので、

勉強もまぁまぁしっかりやっていて、

どっちつかずのまま過ごしてしまっていました。

 

そしてセンター1ヶ月前。

「残り1ヶ月や!!」という感じで受験勉強をヒイコラ言ってやってました。

 

「やっぱ起業家になりてぇ!」と思い進学の道を自ら断つ

色々ありましたが時は経ち、いよいよセンター試験3日前です。

2018年1月10日の水曜日でした。

昼休みに陸上部の友達とウエイトルームにいました。

 

すると天から降ってくるかのように

「このまま俺は大学行っていいのか?」と自問していたのです。

 

すると僕は真っ先に心の中で答えました。

敷かれたレールなんて辿ってやるか!

 起業家になって自分の道を進んでやる!!

 

そう思うと早速作戦を練り、翌日から体調が悪いと伏線をはり、

棄権する作戦を決行していました。

 

そして結果的に親をも欺き受験を途中で棄権するという暴挙に出ました。

本当に清々しい気持ちと、自分の気持ちに嘘をつかない素直になれた自分がいました。

素直になるってこんなに楽なんだなと感じました。

勉強しては実践を繰り返す、試行錯誤の日々

それからというもの、

僕はどっぷりビジネスの勉強をするようになりました。

バイトで貯めたお金でマーケティングの教材を買ったり、

サイトを立ち上げたり、3月にはYouTubeもやり始めました。

 

自分が勉強したことを発信し

誰かに感謝されるというのはもう最高ですし、病みつきです。

金銭的な結果は全然出なかったけど、だんだん反応をいただくようになり、

苦しいながらもはまっていました。

 

こんなことビジネスを知る前にはできなかったことです。

マジでありえません。

 

今まで自信がなく嘘をつき見栄を張ることで自分を偽ってきました。

 

偽りの自分で人と接する事に心が疲弊していたあの時に比べ、

今では活き活きとしていて、何より自分に素直になることができています

 

やりたいことをやる

やりたくないことはやらない

嫌というものは嫌だ

好きなものはとことん好き

 

このように、自分に正直に生きれるようになりました。

 

「そんなんじゃ社会を渡っていけない」

という声が聞こえてきますが、そんなことは一切ありません。

日本はとっっっっても豊かな国ですし、

ビジネスをやるにはもってこいのインフラ(基盤)が整っていると、

勉強した今ではわかります。

 

確かに最初は難しくばかり考えてしまって結果も出ないし、

勉強しても成長してる実感もありませんでした。

 

センターブッチしたのはいいけど、「どーする?」って感じでした。

そして昔のように

「自分には向いていないんだ。。。」

と自分を卑下したことが何度もありました。

 

「やっぱりビジネスって決められた人じゃないと出来ないんだ」とかね。

 

勉強しても勉強してもわからないことがたくさんありました。

普通の顔して原因不明なトラブルがひょっこり出てくるから腹が立ちます。

 

さらにムカつくのが勉強すればするほどわからなくなったりします。

ほんとパソコンの画面をぶち割りたくなることがなんどもありました。笑

 

YouTubeも少しづつ見てもらえて、

ブログやメルマガでも感謝の言葉をもらったり、

少しずつですがだんだんと多くの人に価値提供をすることができています。

 

「こんな僕に感謝してくれるんだ。。。」

そんな風に今まで思っていましたが、たくさん感謝されるようになり、

自分を認めてもらえてる感覚がたまらなく気持ちいいです。

 

だんだん僕の作ったものが資産となって、

価値を提供し続けてくれる感覚はもうたまらんです。

 

勉強すればするほどわからないことは出てくるけど、

結果が忘れた頃についてきます。

 

僕は今では趣味が仕事になったりもします。

今では「こんなサイト作りたい!これあったら便利じゃん!!」

と思ったものは簡単に作れてしまったりします。

それをマネタイズする仕組みを作ればそれで収益化も望めます。

 

自分の好きなことがそのまま仕事になるなんて

こんな美味しい話ありますか?

 

まだまだ僕が手をつけている、

インターネット✖︎ビジネスは多くの人に受け入れられていないです。

真面目に勉強すれば金銭的に困ることはないのに、

胡散臭いと勝手なレッテルをはってやろうとしないわけです。

 

だからチャンスってわけですね。

うまくそのチャンスを僕はつかむことができたわけですが、

チャンスは行動したものにのみ訪れるものだと思っています。

 

だから何したらいいかわからない人もとにかく動いてみようぜってことですね。

 

僕も最初はなんもわからんかったです。

 

今でこそ企業の社長向けにマーケティングについて指導したり、

ビジネス実践者の方達にセミナーをやったり、

個人のスキルを活かしきれていない方達のためにサロンを運営したりなど、

19歳ながら年齢関係なく指導する立場に立たせていただいておりますが。。

 

ほんの一年近く前まではマーケティングすら知らないし、

アメブロだってよくわからん人間でした。

今は企業向けにサイト設計したりしてるのに。笑

 

でも気合い入れて数ヶ月学ぶだけで、経験積むだけで、

ここまででっかくなれるんですよ。

 

夢ありますよね。

 

僕は本当に心からこの世界に飛び込んで良かったと思っています。

 

あんなに人生に絶望していたのに、

コンプレックスまみれで自分にガン萎えしてたのに、

自分の置かれた環境を憎み恨み倒してたのに、

 

今ではそれらをあえて発信することで、

僕の【辛くて悲しかっただけの過去】が、

他の方にとっては【救いになる希望の過去】として生きてくれています。

 

今では毎日のように感謝のメールもいただきますし、

僕の発信によって希望を持てた幸せに満ちた連絡をいただきます。

 

そんな報告を1つもらうごとに僕はこの活動をしていて本当に良かったと、

心から思えます。

 

これが1つの昔から夢だったのかもしれません。

小学生の時から抱いていた”特別な人間”とはきっとこのことだったのでしょう。

 

小さい頃からたくさん苦労をかけた姉、

休みがほとんどなく56の体に鞭打って頑張る母、

そんな大事な家族を守ってあげたいという願い。

 

毎月僕は母にお金を送っています。

今では僕が竹内家の大黒柱になっているようです。笑

 

姉にはまだ何もしてあげられていませんが、

近いうちにいろんな感謝のサプライズをする予定です。

 

まだまだ不自由なく暮らせるほどの援助はできていないですが、

僕の”特別な人間”になりたいという願いに始まり、

母と姉を楽にさせてあげたいという想いも、

着実に、一歩一歩確実に叶い始めています。

人生舐めてるくらいがちょうどいい

これまで僕の生い立ちを話してきたわけですが、

いかがでしたでしょうか?

 

僕の家が特別恵まれていなかったとかいうつもりはありません。

しかし、それなりの逆境はあったと思っています。

 

僕がこれを読んでいるあなたに受け取ってほしいメッセージは、

どんな逆境でも意外となんとかなるんだぜっていうことです。

 

僕の今の人生観は、マーージで楽観視です。

【死ぬときは死ぬ。だからなんだってチャレンジできるし、リスクも終える】

そんな感じです。

 

だから例えばですが、100万以上稼いでたって、

月末には1万円をきっています。

それくらい投資しまくってバカみたいに自分を追い込んでいます。

 

そのせいかマジで感覚が狂って、

全然負荷に思えなくなってきちゃいました。笑

 

さらなる負荷を求めて僕はどんどん、

新しい環境に身を置きに行って、

不安定さを楽しんで生きます。

 

そうやってあえて逆境を作ることで、

反骨心というかハングリー精神を培っています。

 

ストレスは僕の美味しいご飯なんです。

ご飯なんで食べれば食べるほど大きくなるんです。

そうやってどんどんストレス、負荷をかけてチャンスを自分のものに、

しています。

 

あなたも今何か逆境に追い込まれていませんか?

 

それって死ぬことに直結しますか?

 

答えがNOなら言っちゃ悪いですがマジで大したことない逆境です。

失敗しても最悪取り返しがつくじゃないです。

全然いけますよ。

 

家賃払えなくなったとしても余裕です。

追い出されるまでどれくらい時間大丈夫か計測してやろうぐらいに思ってます。

追い出されるときは追い出されます。

でもそういう時に普通にお金が入ってくるんですよね。面白いことに。

 

支払いが間に合わなくたって大丈夫です。

最悪ブラックになったって大丈夫です。

死んでないんでやり直しききます。

むしろブラックになってすげー稼いだら超ネタになるじゃないですか。

 

死ぬときは死ぬんです。

死んだら終わりですが、

死ななきゃ次があるわけです。

 

死ぬこと以外マジでかすり傷ですよ。

どんどん挑戦して生きましょうよ。

僕はあなたがこうしている間にも、

バカみたいなこと挑戦しまくって成長して、

チャンスを掴みまくってますよ。

 

いやあこんなマインドになれたらマジで人生楽しいですし、

考え込まなくて済みます。

だいたい考えすぎてドツボに陥ります。

 

人間って考えれば考えるほどネガティブになるようにできてるんですよ。

だから当たり前なんです。

考えすぎない。これが一番。

 

人生舐めてるくらいがちょうどいいんですよ。

大したことねーっすよまじで。

困難とかやらかし。無理難題は自分の人生のストーリーを面白く演出するための、

ネタにすぎないです。

 

どんな困難や試練があったとしても、

「あーはいはい。ここできたのね。上等や。」

くらいに構えましょうよ。

未来の展望

はい。ということでここまで付き合っていただいて、

本当にありがとうございます。笑

 

僕の生い立ち、人生観について詳しく話していきました。

 

ここからは僕の未来の展望です。

もし賛同してくれる方は一緒に登っていきましょう!

 

僕の具体的にこれからやっていきたいことは、

主に3つです。

難病指定.jpの企画と運営

 

僕の大事な姉の赤ちゃんはエプスタイン病という難病を持って、

この世に生を授かり生まれてきました。

 

エプスタイン病と聞いたとき、

無知すぎて調べたんですが、難しすぎてようわからないんです。

 

「これじゃ大人が読んでもわからねぇわ。。。」

 

子供の難病に関わらず、難病は意外と世間に認知されていないことが多いです。

 

ですので小学生くらいから難病に関心を持っていくことが、

難病患者を減らし、日本の医療を進歩させる一番の方法だと考えました。

 

なので、ないなら作ってしまおう!!!

ということで、僕はエプスタイン病の件があって、

サイトが自分で作れるようになった2018年の2月に、

難病指定されている病気の解説サイトを作ろうと思い、

【難病指定.jp】というドメインをお金に困ってる中僕が買って置きました。

 

簡単にいうと、

どんなサイトにしていきたいかというと、

小学生でもわかりやすいように、

短い漫画で難病をわかりやすく解説するものです。

 

10月から本格的に企画し始めたのですが、

すでにいくつか行き詰まっていて苦しいです。笑

でも絶対に諦めないです。頑張ります。

 

そのうちクラウドファンディングで、

資金を調達して皆さんで作っていくサイトにするので、

ぜひこれを見ているあなたも見かけたら100円でいいので、

支援をよろしくお願いいたします(^ ^)

 

顔出しでのメディアの露出

 

実はこれを書いている最中でも、

ちょっとずついろんなメディアで僕は顔出しをし始めました。

今までは完全に顔出しNGでした。

 

ですが、これからはアーティストになっていくので、

来年からはテレビにも出ていくようになります。

あとは紙の本を出版していったりとか。

 

ですので、いつメディアに取り上げられてもいいように、

顔出しでの活動を活発にしていきたいと思います!

 

ひたすら新しいことに挑戦

 

はいこちらは、この記事の序盤でも話した通りなのですが、

ひたすら新しいことに挑戦していきます。

 

8月9月はバンジー飛んだり、ヒッチハイクしたり、

VRしたり、富士急いったり、ゴルフやったりと、

多くの経験をしてきました。

 

こうして多くの新しい経験に触れていくことで、

僕は自分の思考の幅を広げていきます。

 

そのためにこれからはさらにいろんなぶっ飛んだ情報発信をしていきます!

お楽しみです!

 

さいごに

 

さいごにですが、

いかがでしたでしょうか。

 

僕、たいせーこと竹内大成をよく知ってもらえた、

記事になったのではないかと思います。

 

最近はメルマガ読者さんとの交流も増えています。

 

連絡も多くいただきます。

極力お返事もしていますし、食事に誘うこともあります。

 

それにリアルタイムで僕の活動を知ることができます。

気になる方はぜひ登録して見てください(^ ^)

もちろん無料ですし、いつでも簡単に解除できます!!

 

特典の動画だけ受け取って、

あとはポイでもいいです。笑

僕もそんなことしてたんで。笑

 

はい。というのは置いといてですね。

結局は自分が何をしたいのかが一番大事なのかなと思います。

 

別に今のままでいいなら他の情報はいらないですよね。

影響されるだけなので。

 

しかし、死ぬほどやりたいことがある!!

という方でなくとも、何かしら現状を変えたい。

という方は多いと思います。

 

そしたらまずは知識をつけて行動をすることなのかと思います。

 

本当にやりたいことであれば学校なんて関係ありません。

未成年だろうが、親も関係ないです。

 

僕は未成年ですが、手段を問わず親を黙らせてきました。

全力で親の攻撃を結果出してねじ伏せてきました。

 

でここまでいって行動できないというなら、

本当に望んでいなかったというだけです。

簡単なことですね。

現状に満足してるから悪いことではないかと思います。

 

僕は嫌ですが。

 

僕の思想だとどんどん上のレベルに上がっていきたい想いがあります。

ですので勉強して自分の世界を広げ、

どんどん上に潰されて、抵抗して、成長して、

竹内大成という人間を広めていきたいと思っています。

 

全力で人生を変えたい!!

という方は僕も最大限応援します!

ですので、一緒に夢見てる者同士頑張っていきましょう(^ ^)

 

僕も応援するので、あなたも僕を応援してください!

 

きっと夢にお互いどんどん近づいていきますし、

確実に叶えていきます。

 

楽しいですよね。

うん。楽しすぎます。

 

はい、長くなってしまいましたが、

以上でこの記事を閉じたいと思います。

 

ぜひ感想などいただけたら嬉しいです。

すげー嬉しいです。

 

もう一度言います。

すげー嬉しいです。

 

ということで以上、

たいせーこと、竹内大成でした!!

 

こんなクソ長い記事、最後まで読んでいただきありがとうございました!!

 

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コンプレックスまみれ、恵まれない環境。 僕は小学生にして人生に絶望していました。
 
「お金に困りやりたいことができない」 あんなに絶望していた人生でしたが、   
18歳19歳でも自分の頑張り次第でお金が手に入れられる方法を知りました。  
 
「自分の価値を高めて時間を売らないでお金を得る」
これがこれからの時代めちゃくちゃ大事になってきます。   
 
僕は自分の価値を高めるためのマーケティングが これからのAIやIT環境が加速する世の中においてとても重要なことに早くから気づけたため、
僕は19歳にして逆境から経済豊かを手に入れ、大事な家族を助けてあげることができています。 そして今ではサーフィンやゴルフを平日に楽しみ、旅行に出かけたり。

さらには新しいことに挑戦しまくり、世界を自分の表現で創造するアーティストになろうとしています。  

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